2000年代前半、パナソニック(当時は松下電器産業)は今後急増するであろうプラズマディスプレイパネル(PDP)の需要に応えるべく尼崎市臨海部において3つの製造工場新設に着手した。
第3工場(尼崎第1工場)から第5工場(尼崎第3工場)までの各工場の月産能力は42型換算でそれぞれ25万台、50万台、100万台(当時世界最大)。 総投資額は約5500億円にも及び、世界屈指のパネル供給拠点とする構想だった。
しかし、2005年から2009年にかけて施設が操業開始した頃には既に需給バランスは崩壊。 フル稼働に至ることはなく、2014年3月の第4工場の稼働停止をもって全工場の生産が終了した。第5工場にいたってはわずか2年のみの稼働だった。
その後、第5工場は投資会社に売却され物流倉庫に改装。 2017年3月には第3・第4工場のESR株式会社(旧レッドウッド・グループ・ジャパン)への譲渡が完了した。 今後、2つの工場は解体され、跡地には国内最大となる延べ床面積39万m2規模の物流倉庫が建設される。