「朝日建築」でたどる中之島3丁目ヒストリー

朝日新聞社の社屋の変遷

水都大阪の象徴、中之島の真ん中に位置する中之島3丁目。 朝日新聞社は明治から平成まで、約130年にわたってこの地に拠点を構えていました。 その社屋は、時代の先端をゆくマスコミらしい進取性ある建築で、常に街のシンボル的役割を果たしてきました。そんな“朝日建築”を時代を追ってご紹介します。


朝日新聞社

1916(大正5)年~1965(昭和40)年

1885(明治18)年6月、西区京町堀から中之島3丁目の旧伊予宇和島藩屋敷跡に移転してきた朝日新聞社は、 1916年に、当時まだ珍しかった鉄筋コンクリート造り4階建て(地下1階・地上4階)の新社屋を竣工した。 頭上にそびえる時計塔はまちのどこからでも見えるランドマークとして、人々に愛された


朝日会館

1926(大正15)年~1962(昭和37)年

文化施設が求められていた「大大阪」に、朝日新聞社は、ホールを備えた地下1階・地上6階建てのビルを建てた。 ニューヨークのアメリカンラジエータービルを参考にした黒い壁に、窓枠を金色に縁取ったユニークな外観。 内部は“朝日”にちなみ、太陽神ラーをモチーフにした古代エジプト様式を採用した。


大阪朝日ビル

1931(昭和6)年~2013(平成25)年

外装にステンレスやスーパーアルミニウムなどを用い、プリズムガラスの照明で飾った“不夜城の摩天楼” は地下2階・地上10階建て。10階には洋食レストラン「アラスカ」、5階にパーラー、屋上には日本初の航空灯台や アイススケート場など“憧れ”が凝縮。「日本中で最もセンセーショナルな建物」と評された。


朝日新聞ビル

1968(昭和43)年~2013(平成25)年

アイボリーのタイル壁と曲線が印象的。軟弱な地盤を「竹中式深礎工法」で掘削。 地下に5層の印刷工場、ビル西側部分に阪神高速道路を通す珍しい構造の地下5階・地上13階は 完成までに6年を費やした。大阪朝日ビルにあった航空棟を移築し、一体化した二つのビルの上に 朝日新聞社の社旗がはためいていた。


…と、こんな嬉しい写真が説明文とともに掲示されているのは大阪朝日ビル・朝日新聞ビル跡地に建設中「中之島フェスティバルタワー・ウエスト(仮称)」の工事現場。 航空棟って移築されたのかぁとか四つ橋筋と中之島通に路面電車が走ってたんだなぁとか朝日会館斬新!とか色々な発見がありました。 大阪朝日ビルの写真右端はダイビル本館?朝日会館の左隅に微かに写るのはヴォーリズの大同生命旧本社?そもそも交差点の建物は何だ?古い写真を現況や知識、記憶と照らしあわせるのは楽しい作業です

懐かしくなったので手持ちの関連写真をいくつか掘り返してみました


2008年の中之島の風景


2012年時点の大阪朝日ビル


朝日新聞ビルと大阪朝日ビルとの僅かな隙間。タープの下にテーブルと椅子が設置され、休憩・喫煙スペースとして活用されていました。


朝日新聞社の社旗がはためく航空棟


左は解体直前の新朝日ビルディング。高さ200mの中之島フェスティバルタワーに建て替わりました。


中之島フェスティバルタワー完成後、朝日新聞社ほか、朝日建築2棟に入居していた多くのテナントが中之島フェスティバルタワー(中之島2丁目)に移転しました




そして、仮囲いには2017年に開業する「中之島フェスティバルタワー・ウエスト(仮称)」も紹介されています。


ホテル、オフィスなどの機能をもつ超高層複合ビルとして2017年に完成予定。 既存の中之島フェスティバルタワーと国内で最も高いツインタワーを形成します。 中之島3丁目の新たなランドマークとして時を刻んでいくことでしょう

中之島フェスティバルタワー・ウエスト(仮称)概要

建築主:朝日新聞社、竹中工務店
設計者:日建設計
施工者:竹中工務店
所在地:大阪市北区中之島3丁目2-4(住居表示)
主要用途:事務所、ホテル、飲食店舗、物販店舗、集会場、美術館、自動車倉庫
敷地面積:8,377.84m2
建築面積:6,102.50m2
延べ床面積:150,438.23m2
構造:鉄骨造・一部鉄骨鉄筋コンクリート造・鉄筋コンクリート造
高さ:建物高さ199.27m
階数:地上41階、地下4階
工期:2014年6月25日~2017年4月30日