旧・松下電器産業時代にテレビ生産の拠点工場として機能した。 1958年に白黒テレビ工場として稼働を開始。その後は時代に合わせてカラーテレビ、薄型テレビを生産した。 最先端技術を取り入れた花形工場で皇族や国賓が視察に訪れたこともある。
住所は「松下町1-1」 茨木市は町名を変更するほどに松下電器産業の工場誘致に尽力したことでも知られる。
茨木工場では2012年3月にプラズマディスプレイの生産を終了(パナソニック全体では2013年12月に終了)。 その後、しばらくは関連施設として活用されたが2014年に工場敷地約12万m2のおよそ半分を大和ハウス工業に売却。建物は解体され、跡地にはヤマト運輸が使用する物流施設が開発される。