| 竣工年 | 1933年 |
| 階数/高さ | 地上8階・地下2階 |
| 延べ床面積 | 5,824.869㎡ |
| 建築主 | 日本電報通信社 |
| 設計 | 横河工務所 |
| 施工 | 大林組 |
朝日新聞社や読売新聞社といった大手メディアが集積していた銀座エリアの一角に、1933年に竣工した電通(旧・日本電報通信社)の社屋。 外堀通りと交詢社通りの角地に位置している。 1923年の関東大震災で社屋が焼け出され仮社屋で業務を行っていた電通の待望の自社ビルで、1967年に築地へ移転するまで、本社ビルとして活用した。
ガラスブロック、角地の湾曲コーナーなどを用いた戦前モダニズムのスタイルで、建築的評価も高い。 正面には五芒星の社章と吉祥天・広目天のレリーフがあり、内部にはモザイクタイル装飾も残る。
本社ビルから格下げとなった後も、電通グループのオフィスや、関連する吉田秀雄記念事業財団、電通育英会等が入居するなど活用され続けていた。 2025年末、電通はビルの売却契約を結んだことを発表。 価格は300億円で2026年1月30日の引渡を予定する。








